あのいまいましいブリッジは? 

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マッドマックスおめでとう!

アカデミー賞で『マッドマックス フューリー・ロード』が最多の六部門受賞を達成しました。
僕は賞にさほど興味はないし、権威主義的な気がして、むしろ「賞なんかで作品の良さは決まらないよ!」と思っている奴なんです。
でも大好きな作品が取るとなると、嬉しいですね、はい。

巷では、ストーリーがない、アクションばかりで中身がない、などと言われてはいますけれども、本当にそうかね。
中身ありまくりでしょう。
幾多の言葉を費やす以上に語りかけてくる物語がそこにはある。
この作品に端から端まで澄み渡る美学を僕は感じました。

僕はこの映画のドゥーフ・ウォーリアーが大好きです。
どでかいスピーカーを積んだワゴンに乗り、ギターを弾きまくるギタリスト。
マジかっこいい。

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ジャーン!!!

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    18:13 | Comment:0 | Top

「泣ける映画」について

たびたび、感動する映画について、「泣ける映画」と表現することがあります。
前々から僕はこれが疑問でした。
泣ける映画とはなんだろう? 泣くが為に映画を観ているのかね。

やや下品な言い方ですけれども、アダルト・ビデオについて「抜けるビデオ」なんて表現があります。
本質的なところでいうと、「泣ける映画」という表現は、この「抜けるビデオ」と同じようなものです。
つまり、映画を、自分を気持ち良くしてくれる道具として向き合っている。
「泣ける映画」であるから、映画館に足を運んだり、DVDを借りる。
画面と向き合いながら、涙を流して泣くことを待っている。それで、泣く。

僕にも感情を強く揺さぶられた映画は沢山あります。
ボロボロ涙を流したことはないけれど、心で泣いたことは数知れずです。
追憶して、おそらく最も外面的に感動が出てきた映画というのが、1931年の『フランケンシュタイン』でした。
一度「泣ける映画」とやらが話題になり、僕が『フランケンシュタイン』の名前をあげると笑われたことがあります。
観たことがないらしいので、根強く説明したけれど、それはおかしいと。何でですかね……。

『フランケンシュタイン』という映画は、ヘンリー・フランケンシュタイン博士の身勝手な科学的追求から生まれた人造人間の怪物の物語です。
その怪物は、盗んだ遺体と脳をつなぎ合わせて作られました。
大きな図体と、醜悪な外見、そして知的能力が優れない為に怪物として恐れられます。
博士のもとから逃げ出して、湖畔で遊ぶ無垢な少女と怪物は出会います。
少女は怪物に対して何の恐れも偏見も見せず、いっしょに遊ぶよう誘います。怪物は嬉しそうです。
少女は花びらを湖に投げて浮かべて、船に見立てる遊びをし、怪物もそれに付き合う。
怪物は「水面に投げる遊びなんだ」と、おそらく解釈し、少女を持ち上げて湖に投げつけてしまいました。
怪物としては悪意無き遊びのつもりでしたが、少女は溺死してしまいます。
村の人びとは溺死した少女の復讐の為に、松明を掲げ大挙して怪物を追い詰めます。
風車小屋の追い詰められた怪物は、何故自分は迫害されているのかわからず、ひどくうろたえます。
村人たちは小屋に火を放つ。燃え落ちる小屋諸共、怪物は死んでしまいました。
僕はどうしても怪物側に同情してしまい、少し泣いてしまいました。
僕はホラー映画が好きですので、クラシカルな映画を観てみようと、この作品に出会いました。
泣こうとして観たわけではありません。だけど、そういうものじゃない?
そんなに泣こうとして映画を観るものですか。

わりと前に、バラエティ番組で女性タレントの方が「エクソシストを観て泣いたことがある」と言っていました。
場内大爆笑でした。僕はなんだってそんなに笑う必要があるのかと思ったものです。
僕は『エクソシスト』という映画は大好きだけれど、泣いた覚えはありません。
だけれども、悪霊に取り憑かれた見ず知らずの少女の為に、命を賭して救おうと職務を遂行する神父の姿に感動したらいけないのでしょうか。
おそらく、ホラー映画の『エクソシスト』で泣くわけがない、それは一般的な感覚からずれているという考えのもと、皆笑ったのだろうと思う。
その後、女性タレントに「最近観た映画は?」と訊くと、『サイタマノラッパー』との答えが返ってきた。場内大爆笑。
良い映画なのにね……。

『フランケンシュタイン』で感動したことを言うと莫迦にされたこともあって、僕はそういう話題になると適当にお茶を濁している。
「~は泣ける映画らしいよ」ということを言われても、やや違和感を感じつつも流してはいる。
だけれども、映画の向き合い方としては不純のような気がしてなりません。
「泣ける映画」じゃなくて「泣いた映画」というのならわかるのだけれども。

    21:50 | Comment:0 | Top

ナイトクローラー

つーわけで『ナイトクローラー』です。映画です。今日は映画について書きます。
僕、ジェイク・ギレンホール大好きなんですよね。
そんでもって予告編の「『タクシードライバー』のトラヴィス再来!」という謳い文句。
こりゃ観るっきゃねえよってなもんです。

で、観ました。
とにかく怖かった。
話としては、ギレ様演じるルイス・ブルームが、事故現場や火事などを追い求めるフリーのパパラッチとしてガンバっていくお話。
ガンバってはいるんだけれど、そのガンバリがかなり怖いんですね。

思ったのが、トラヴィス的ではないということ。
デ・ニーロさん演じるトラヴィスは、元来狂っているわけではなく、歪んだ社会や孤独感、肥大化して自尊心によって生み出された存在という印象。
比べてナイトクローラーのギレ様は、元来狂った男として描かれています。
パパラッチとして大事なのは、とにかく良い画を撮ること。良い画って何? そりゃ悲惨な画ですよ。
悲惨な事故で犠牲者が出ているのにも関わらず、大破した車や、満身創痍の人をカメラで映してメディアに売って生計を立てる。
とある自家用機の事故で、五人亡くなった現場を撮った同業者のヒゲのおっさん(なんとビル・パクストン)が「五人死んだってよ、おれが一番乗りだ!」とか嬉しそうに言っていました。
道徳観? 倫理観? 何それな世界なので、やや良心からズレがある。
その世界に入り込んで徐々に狂っていく話かな……と思ったら違うんですね。
血まみれの事故犠牲者をカメラで捉えることへの良心の葛藤や、迷いがまったくない。
そりゃもう平然としてカメラを向ける。最初から馴染みすぎである。

良い画を撮ろうと励むギレ様。
「ちょいと遺体の位置が悪いな」と思ったのか、遺体を引きずってバッチシな場所に設置して撮ることは当たり前。
競争相手である同業者のバンに細工をして事故を起こすのなんて朝飯前。
僕は最初は励むギレ様を応援していましたよ。
ちっちゃなカメラとおんぼろの車で現場を追う駆け出しの頃、なかなかうまくいかなくて、同業者に莫迦にされたりして。
負けるなギレ様、張り切っていこうぜギレ様。
張り切りボーイとして日々奮励するギレ様は、過激な映像を撮るやり手として、メディアから一目置かれる存在となっていきます。
だけど、より良い画を撮ろうとするギレ様の行動はエスカレートしていきます。
それに乗じて、どんどん怖くなるんですね。身の毛がよだつとはまさにこのことよ。
怖いのが、どれもこれも、表情の無い表情で、淡々と仕事をこなしているということ。
犠牲者への同情なんて微塵も感じられません。ただ良い画を撮る為の材料としてしか思ってないであろうと予想できます。
「他人の<破滅>の瞬間に、カメラを持って現れる――」という、この映画のキャッチコピー。
彼は助けようとするわけでもなく、好奇心を持つのでもなく、ただ無表情にカメラで記録するだけなのです。

撮影のアシスタントとして雇われた若者が、ギレ様にこういったことを言います。
「あんたは人間をわかっていない。わかろうともしない」
おそらくギレ様にとって、人間に対する思いやりや、共感意識などは、無に等しいのでしょう。
あるように思ったとしても、それはポーズでしかない。
こちらに向けられた好意(らしきもの)も、それは打算的なものに過ぎない。

トラヴィスの場合、狂っていきましたが、人間らしい描写はありました。
初デートでポルノ映画に誘うような一般的な感覚からズレはあった。でも、その後ふられてきちんと傷心はしていましたし、
「おれはこれでいいのだろうか」と迷いがあり、先輩のおっさんにそれとなく相談をしてみたりもしていました。
友人も恋人もいないトラヴィスは、どこかしら人とのつながりを求めている節があります。
トラヴィスは世渡りベタで、孤独です。
孤独感、自尊心……それが自己顕示欲や憎しみに変り、暴走したのです。
『ナイトクローラー』のギレ様はそうではない。
そんなもの超越している。
友人も恋人もいなさそうだけど、必要とすらしていないでしょう。
メディアの波をうまく乗っていく能力や、コミュニケーション能力も心得ている世渡り上手。
それでもって善悪なんてなんのそのです。
ニーチェの唱えた「超人」という概念がありましたは、こいつはまさにそれでしょう。
そのあたり、ギレ様に似ているのは、トラヴィスよりも、同じくデ・ニーロさん演じた『キング・オブ・コメディ』のあいつです。
あいつのことはまたおいおい……。

さておき。
ギレ様、次の映画はボクサー役なんですか?
この映画だと頬がこけて不健康的であったのに、あまり無理してくださるな。
だけど楽しみだなー、ボクサーのギレ様。パンチパンチパンチ。必ず観ますよ。

    17:19 | Comment:0 | Top

巻き寿司? おめえを巻くぞ!

なんだって節分の日に、どっか方角向いて巻き寿司咥えるのが全国で昔からやってますよって面しているんだ?
元々は関西のローカルなイベントだったらしいのだけれども、某コンビニチェーン店が経済的戦略の為に広めたらしい。

実家では、節分にはいつも豆を撒いていました。
鬼は外、福は内、と。邪気を取り払い、福を呼ぶ。
だけど、いつの間にやら、実家で、どっかの方角を向いて巻き寿司咥えて、しかも喋ったら駄目だというイベントが入ってきた。
なにそれ、去年やってなかったじゃないか。
前述したように、某コンビニチェーン店が広めたことが理由。
僕はどうも馴染めなかった。
幼い頃からやっていなかった行事が家に入ってきたことに混乱を覚えた。
それに、元々馴染んでいた行事であったように思い込まされた感じが。

だから、個人的には節分の日には巻き寿司は咥えません。
好きなご飯を食べます。
もちろん、こういった考え方はひねくれているのだろう。
大衆から外れる行為は総じてひねくれだとか言われる。実際言われて、なんだかなと思いましたし。
いや、そんな、「おれがやらないから、お前もやるな」というような言い方ではない。
「常々疑問に思っているからやらないだけ」だと根強く説明してもいけない。
文化祭とか楽しめなかったでしょ、と嘲笑的に言われて、まあ、確かにそうだけどさ。
そういう言い方はないんじゃないか?

だから、日本的なハロウィーンも、クリスマスも楽しめない。
本来の文化的な意義から外れているから、というのもあります。
ハロウィーンはコスプレして莫迦騒ぎをしたり、交通網を乱すようなイベントではない。
クリスマスは物を買いまくったり、恋人とホテルにしけこむイベントではない。

イベントはイベント、楽しんだもん勝ち。
それは確かに。一理ある。一面的にはそうだろう。
だけど、疑問も持たずに、盲目的に行動するのも、果たして良いことなのだろうか。
毎回もやもやします。

だけどバレンタインデーはチョコください。

    23:46 | Comment:0 | Top
 
 
プロフィール
 
 

いずき

Author:いずき
ミスカトニック大学で人類学を専攻している学生です。
這い寄る混沌に会いたい。

座右の銘:人生ライク・ア・ローリング・ストーン

ほしいもの:等身大ボイド人形

自慢できること:赤ん坊の頃のオルセン姉妹を見分けられること

好きな映画:タクシードライバー

好きなディーン:サムがピンチの時にいち早く駆けつけショットガンをぶっ放すディーン

嫌いなディーン:地獄日初日に拷問側にまわり生き生きとした目で拷問するディーン


ホームページ
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